<調査報告書11>

第2部 アメリカ篇

第4章 バプティスト・ライフフライト

 

1 土曜日の訪問

 ペンサコーラという町は、同じフロリダ州といっても半島の付け根から西へ300km以上も行ったところにあり、途中で時間帯が変わるので、昨日までのタンパから見れば1時間遅くなる。そこへ朝早く飛行機でタンパを発ち、1時間半ほど飛んで昼前に到着した。そして午後から、ハットン先生に紹介されたバプティスト病院を訪ねた。

 町はメキシコ湾に面し、入り江が入り組んでいて、タクシーで走っていても何度か橋を渡ったり、水際の道路を走ったりする。教えられた住所を運転手に見せると、赤や黄の花壇で囲まれた病院の玄関に着けてくれた。受付けで案内を乞うと、「あのエレバーターで上がってゆけ」という。土曜日の午後のせいか、人影が少ない。けれども案ずるまでもなく、ヘリコプター救急プログラム「ライフフライト」の乗員待機室はすぐに見つかった。

 われわれ旅行者は旅程を節約するために、土曜日でも日曜日でも仕事をしたいと思う。しかし普通は、相手が休みだからそうはいかない。やむを得ず、観光バスに乗るか街の中をぶらつくことになるが、幸か不幸か救急業務に休日はない。土曜日の訪問など申しわけないなと思いながら待機室に入ってゆくと、そこには飛行服に身を固めたスタッフが普段通りの勤務をしていた。

2 発足30年のヘリコプター救急

 バプティスト・ライフフライトは救急飛行を始めて丁度30年を迎えたところであった。発足は1977年、初飛行は同年5月14日である。これはまたアメリカで3番目の病院拠点のヘリコプター救急事業で、フロリダ州では初めてのプログラムだった。

 きっかけはペンサコーラの沖合に連なる「フロリダ・パンハンドル」(フライパンの柄)と呼ばれる一帯が船でしか近づけないことにあった。沖合に連なる半島や島々は美しい観光地として多くの人びとが世界中から集まってくるが、そんなところで急病人が出たらどうなるか。ヘリコプターが必要なことは明白である。

 その発足から30年を経て、現在は隣接するアラバマ州にも進出し、合わせて3ヵ所に拠点を置いている。もっともアラバマ進出はまだ2〜3年前のことで、ペンサコーラから西へ海岸沿いに90kmほど行ったモービルに第2の拠点を開いたのは2004年3月、北へ120km行ったエバグリーンに第3の拠点を置いたのが2006年5月である。このうちモービルの運航は、それまで南アラバマ医療センターがヘリコプターを飛ばしていたが、経済的に合わないというので、ヘリコプター救急をやめてしまった。その後を継いで始めたものである。

 これらの所在地は下表の通りである。

呼   称

拠   点

距  離

使用機

ライフフライト1

フロリダ州ペンサコーラ

――

EC135

ライフフライト2

アラバマ州モービル

西方90km

AS355

ライフフライト3

アラバマ州エバグリーン

北方120km

BK117

 運航管理は3ヵ所合わせて、ここバプティスト病院のコミュニケーション・センターでおこなう。運航者も3ヵ所ともにCJシステムズだから、この3機が互いにバックアップしながら仕事をしている。なおCJシステムズは前章に書いたとおり、その後エアメソッドに買収されたはずで、今はエアメソッドの名前に変わっているかもしれない。

3 ハリケーン銀座

 この地域はハリケーン・カトリーナのように、カリブ海からメキシコ湾経由で米大陸に上陸する暴風雨に見舞われることが多い。2004年9月16日ハリケーン・アイヴァンが上陸した地点は、ペンサコーラから65kmほどのところである。そのため付近の海岸は大きな被害を受け、美しい景観を誇る保養地も瓦礫の山と化した。

 バプティスト病院も被害をこうむった。けれどもライフフライトは嵐の翌日から活動を開始、最初の10日間の飛行は1日平均17回に及んだ。普段は1日5回である。さらに半年たたずして、今度はハリケーン・デニスに襲われたが、このときもライフフライト機は同じような救助活動に当った。

 さらに半年後の2005年8月、ハリケーン・カトリーナがニューオーリンズを襲ったときも、ライフフライトは被災地へ飛んで救護活動をした。数日の間に75人の患者をペンサコーラその他の病院へ搬送したのである。機は被災地へ入ってゆくときは、機内に水、食糧、その他の救援物資を積みこみ、それを現地で降ろして、患者さんを乗せて戻るといった飛行を繰り返した。

 ペンサコーラは米海軍の有名な曲技飛行チーム「ブルーエンジェルス」の本拠地でもある。ここの海沿いに海軍航空基地があって、ブルーエンジェルスが地元で航空ショーを催すときには、ライフフライトも万一にそなえて緊急待機の体制に入る。むろん実際に出動したことはないが、ライフフライトの乗員たちもブルーエンジェルスと同じ青い飛行服であった。


ブルーエンジェルス

4 トラウマ・センターの医療スタッフ

 医療面では、バプティスト病院はフロリダ州認定の緊急トラウマ・センターである。したがってナースもパラメディックも救急医療に関しては最高水準のスタッフをそろえている。ライフフライトはこの救急部門に属し、フライト・パラメディックやフライト・ナースなど約75人が交替でヘリコプターに搭乗する。ほとんどの人はナースとパラメディックの両方の資格を持つ。

 フライトナースは3年以上の看護経験と1年以上の救急治療経験をもち、心臓救急のACLS(Advanced Cardiac Life Support)や小児救急のPALS(Pediatric Advanced Life Support)などの資格を持つ。

 フライト・パラメディックも3年以上の救急経験と、ACLS および PALS の資格を持っていなければならない。彼らは、この地域の911救急機関の中で仕事をしていた人が多い。こうした経験、資格、技能の上に、メディカル・コントロールを受けながら、救急現場で高度の救急治療を行なうのである。

 そんなクルーの皆さんが病院屋上の待機室でわれわれを迎えてくれたが、ナースの1人は祖母が日本人ということだった。またチーム・リーダーは体の大きな黒人パラメディックである。ライフフライトの発足当初からのメンバーで、アメリカ初の黒人フライト・パラメディックでもあるという。見るからに信頼感に満ちており、この人に救護された患者さんもきっと安心するにちがいないと思われた。30年間ここで仕事をしてきたという。

 そんな話をしているうちに先方から「救急ヘリコプターに乗ったことがあるか」と訊かれた。「まだ、そんな大けがをしたことはない」と答えると、「乗りたくないか」「余り気が進まないなあ。それよりも出動指令が出たら下からヘリコプターの写真を撮りたい」「写真は上からの方が良いよ。それにここは世界的な観光地だから景色も良いし」

 というので15分ほど、病院屋上で待機していたEC135で市内からブルーエンジェルスの基地上空を横切って海上の観光地まで、貴重な観光飛行の機会を与えられた。 

5 今こそ秒読みのとき

 最後に、いくつかの質疑応答。

「どんなヘリコプターを使っているのか」

「機材は、この30年間ユーロコプター機ばかり使用してきた。アルーエト単発機に始まり、BO105やAS355ツインスターなどの双発機に移って、いまではEC135やBK117など3機を運航している。ここペンサコーラの使用機はEC135だ」

「出動実績はどうか」

「2006年は3ヵ所で2,000人以上の患者を救護した。このうち65%は急病人や大けがなどの現場救急であった。残りが病院間搬送だ」

「メディカル・コントロールはどのようにしているのか」

「必要に応じてドクターからの直接指示を受ける。そのためにメディカル・ディレクターを務める医師が2人いて、交替で24時間勤務をしている。そのうえ時には、われわれ医療クルーと一緒に飛ぶこともある。その1人は2003年、航空医学会の表彰も受けている」

「救急事業としての採算はとれているのか」

「今から5年前まで、このプログラムが始まってから25年間は連続して赤字だった。というのも救護された患者さんの中には、医療保険に入ってなく、支払い能力のない人も少なくない。その場合は費用の回収を諦めるほかはないが、バプティスト病院には健康医療財団があり寄付金を集めているので、損失額はその資金で補填される」

「最近5年間は良くなったのか」

「2001年にゴールデンアワー社と契約し、料金回収などの事務的な手続きを委託、出動判断などの科学的なプログラムを導入した結果、事務費が減って無駄な飛行が減るなどの効果があり、決算内容が良くなった。利益が出るところまではゆかぬが、収支相つぐなう状態にまで回復した」

「最後に何か言いたいことは?」

「われわれが普段心がけていることは、"秒読みの時"(When Seconds Count)だ。救急は秒単位の差で人の生死が分かれるからね」

 

(HEM-Net、2008.5.8)

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