<シンポジウム報告>

米国のヘリコプター救急

西 川  渉

(HEM-Net理事)

 

 米国のヘリコプター救急について、2002年秋の調査結果をご報告します。詳細はすでに印刷物にして配布しましたので、ここでは2001年夏の欧州の調査結果も合わせ、その他の話題も含めながら報告いたします。なお欧米双方の調査報告書は、全文が当HEM-Netのホームページに掲載してありますので、ご参照ください。

ヘリコプター救急の発端

 ヘリコプターはご承知のように、垂直離着陸、ホバリング、前後進おとび横進が可能という飛行特性を持っております。この特性によって、輸送手段というばかりでなく、人命救助という特殊な任務を果たすことができるわけです。

 近代ヘリコプターの父といわれるイゴール・シコルスキーは、初めてヘリコプターを試作し、その飛行に成功した直後、すぐにこのことに気が付きました。そして「誰かが助けを求めているとき、飛行機はそこへ飛んで行って花束を投下し、上から激励するだけだが、ヘリコプターはその人のそばに降りて直接救うことができる」という有名な言葉を残しております。

 シコルスキー・ヘリコプターが実用になったのは第2次大戦末期のことです。米陸軍はこれを採用するや直ちにフィリピンと中国の前線に送りこみました。当時の戦闘相手は、むろん日本軍です。

 その戦場で、ヘリコプターは空中からの偵察、観測、連絡などに使われました。同時に負傷兵の救出や野戦病院への護送にも活躍し、朝鮮戦争、ベトナム戦争と時代を経るにつれて表1のとおり、死亡率は徐々に減っていきました。全てがヘリコプターの貢献とばかりは言えませんが、ベトナム戦争では何万という人がジャングルの中の戦場からヘリコプターによって救われています。

 こうしてヘリコプターという救助手段が戦場で役に立つなら、平時の国内でも有効だろうという考えが出てきました。ヘリコプター利用の舞台を、ベトナムの火薬戦争から国内の交通戦争に移そうというわけです。

表1 米軍負傷兵の死亡率の推移

推計者

第2次世界大戦

朝鮮戦争

ベトナム戦争

シコルスキー社

5.80%

2.40%

1.70%

ベル社

4.50%

2.50%

1.00%

米ヘリコプター救急の進展

 アメリカのヘリコプター救急は、初めのうちは軍隊、次いで警察によって試みられました。しかし軍隊や警察には別の任務がありますから、救急だけをやっているわけにはいかない。というので、今アメリカで広くおこなわれている形――救急専用のヘリコプターが病院を拠点として待機し、医療スタッフを乗せて現場に飛ぶという方式が始まったのは1972年、デンバーの聖アンソニー病院でした。

 この病院では屋上にヘリポートを設け、民間ヘリコプターをチャーターして昼も夜も待機させ、消防本部からの要請に応じて出動します。搭乗するのは、初めはドクターとナースでした。しかし費用がかかりすぎるなどの理由もあって、ドクターの搭乗を取りやめ、フライトナースとパラメディックだけが乗るようになります。そのためにメディカル・コントロールが重要な意味を持って発達するわけです。

 このようなアメリカのヘリコプター救急の典型は、飛行範囲が広く、半径200kmの遠くまで飛びます。夜間も飛びます。最近は天候の悪いときでも、計器飛行をするようになりました。

 運航費は受益者負担が原則です。患者の負担ということですが、実際は医療保険によって支払われます。さらに高齢者と障害者を対象とした公的医療保険「メディケア」や生活困窮者の救済保険「メディケイド」でも支払われます。ちなみにアメリカは医療保険の加入者が少ないといわれますが、現在ではこうした公的保険も含めると、無保険者は15%前後まで減ってきました。

 このようにしてヘリコプターを利用してみると、病院経営の上でも利点のあることが分かってきました。それまでは、患者さんといえばほとんど病院の近所の人だけでした。しかしヘリコプターによって範囲が拡大するにつれて入院患者が増え、ベッドの利用率も向上しました。

 そのうえヘリコプターを呼ぶような患者は財力があるか、しっかりした医療保険に加入し、重症のために治療内容も高度なものが多く、入院期間も普通の2倍以上と長くなる。そのため病院の収入も増加するというわけです。

 無論その前に、救急患者を救うという基本的な目標や効果については言うまでもありません。

350機で25万人の救急

 こうしてヘリコプター救急は、初めのうちはコストばかりかかると見られていましたが、何年か経つうちに医師ばかりでなく、病院経営者も利点のあることに気がつき、1980年代に入ると急に病院拠点の救急ヘリコプターが増加しはじめました。そして救急ヘリコプター・プログラムは、1990年代なかばまでに200か所近くまで増えました。

 現在では、米エアメソッド社によると、表2のとおり、プログラム数がおよそ300。そのうち病院拠点のプログラムが210、病院以外の飛行場などを拠点としているプログラムが85、警察などの公的機関によるプログラムが5つとなっています。

 アメリカの救急システムでいうプログラムとは、地域ごとのヘリコプター救急システムといえるかもしれません。基本的にはひとつのプログラムでヘリコプター1機を使っていますが、中には2機や3機を駆使して広範囲をカバーしているプログラムもあります。したがって、この表でもプログラム数300に対して、ヘリコプター数は約350機となっています。

 こうしたヘリコプター救急体制によって救急処置を受けた患者さんは年間およそ25万人。ヘリコプター1機当り700人余りです。

 またプログラムあたりの平均患者数は847人、平均出動距離は片道75km、年間の平均飛行時間も823時間と相当に多くなっています。このように出動距離や飛行時間が多いのは病院間搬送が約7割を占めているためでしょう。交通事故や急病人などの現場救急は3割程度です。

 また夜間出動は3分の1以上の38%。救急処置をした患者を拠点病院まで連れて戻る帰投搬送が6割程度。あとは症状に応じて別の病院へ搬送したり、救急車に託したりします。また小児救急は全体の19%を占めています。日本では赤ちゃんのヘリコプター救急がどのくらいおこなわれているのでしょうか。

 以上がアメリカのヘリコプター救急に関する歴史と一般的な現状です。

 

表2 米ヘリコプター救急の現状

プログラム数(総数約300)

病院拠点

約210

病院以外

約85

公的機関

約5

ヘリコプター数

約350機

救急患者総数

年間約250,000人

各プログラムの平均実績

平均患者数

847人/年

平均出動距離

75km/片道

平均飛行時間

823時間/年

出動任務の内容

病院間搬送

約7割%

現場救急

約3割

出動任務の特徴

夜間出動

38%

帰投搬送

60%

小児救急

19%

[資料]米エアメソッド社、2003年3月

女性ばかりの「命の飛行」

 以上のような状況を踏まえて、HEM-Net調査団(団長:魚谷増男前理事長)は、先ずスタンフォード大学附属病院へ行きました。大学はサンフランシスコから南へ1時間ほどドライブしたところにあります。樹木の多い静かなキャンパスが広がり、その一角に病院の建物。正面には美しい池と噴水と緑と花がしつらえてあり、患者さんの心を癒す配慮を感じました。病院の廊下にも、至るところに絵画や彫刻が飾ってあります。

 スタンフォード大学病院は、ご存知のとおり、先端的な医療で世界的に知られています。とりわけ心臓病治療、癌手術、脳外科、臓器移植などについてはすぐれた業績を挙げ、アメリカで初めて心臓移植に成功したところでもあります。われわれが訪ねる少し前、2002年7月には全米の「ベスト・ホスピタル」に選ばれました。

 ここのヘリコプター救急医療チームは「ライフ・フライト」と呼ばれ、1984年以来20年間の歴史を持っています。英語でライフ・フライトといっても、われわれ日本人には単なるキャッチフレーズのようにしか聞こえませんが、日本語に直して「命の飛行」と言ってみると、使命の重要さがずしりと感じられます。

 ヘリポートは病院の屋上にありました。ここから半径240km、飛行時間にして60分の地域が、命の飛行の担当範囲です。この範囲には4つのカウンティがあり、そこから出動要請が発令されます。しかし、このような現場救急は全体の3分の1程度で、あとは病院間相互の医師同士の連携による病院間搬送です。

 この「ライフ・フライト・プログラム」の構成は19人全員が女性のフライトナースです。責任者の「プログラム・ディレクター」もフライトナースで、婦長さんというところでしょうか。

 ヘリコプターはエアメソッド社からチャーターしたもので、その会社から派遣されてきているパイロットだけが男性でした。現場出動は、パイロット1人とフライトナース2人が乗り組んで飛びます。医師が飛ぶわけではありませんが、その背後には大学病院があり、多くの医師や医療技師の存在があります。つまり充分なメディカル・コントロール体制ができていて、フライトナースの役目は、病院や医師の全機能を100マイル、200マイル先で倒れている患者さんのもとまで伸ばしてゆくことにほかなりません。

 その基本理念は、病院の持つあらゆる機能を惜しみなく、迅速に救急現場へ送りこみ、全力を挙げて人命を救うことであります。

 しかもフライト・ナースやパラメディックはヘリコプターに便乗しているだけではありません。クルーの一員として、医療面だけでなく、運航面の役割も持っています。たとえば無線連絡、見張り、緊急脱出操作などです。患者の家族などが付き添ってヘリコプターに乗るような場合、フライト・ナースはベルトの止め方、外し方、ドアの開け方、脱出の方法などのブリーフィングもおこないます。 飛行の安全はパイロットだけのものではありません。運航会社だけの責任でもありません。機内のクルーはもとより、地上の運航関係者や病院スタッフ、さらには現場の救急隊員や警察官も、あらゆる人びとの協力と協調の上に成立しているわけです。

 その上で、このライフ・フライト機は、毎日24時間いつでも飛べる状態で待機し、月間約70回の出動をしております。そのうち約3割は夜間飛行、1割は計器飛行だそうです。

全ては病者のために

 スタンフォード大学病院を訪ねた翌日、今度はサンフランシスコから金門橋をわたって北へ2時間近く走り、サンタローザという小さな町の郊外――ソノマ・カウンティ空港の一角にあるリーチ・エア・アンビュランス社を訪問しました。

 この会社は救急専門の運航会社で、救急装備をしたアグスタA109ヘリコプターをソノマ・カウンティなど3か所の飛行場に配置、さらにセスナ421双発ターボプロップ機を長距離の患者搬送に使っております。ほかにベル407をもって、ソノマ警察と年間チャーター契約を結び、パトロールや犯罪捜査に飛んでおりました。またセスナ206単発軽飛行機があって、これは3か所の拠点を結ぶ社内連絡などに使っているようです。

 活動範囲は、3カ所に待機するヘリコプターが拠点から半径200マイル(330km)の範囲、飛行機は350マイル(590km)の範囲です。

 ここでもわれわれの応対をしてくれたのは女性でした。フライト・ナースばかりでなく、運航部長兼チーフ・パイロットも女性です。女性は責任感が強く、こまかいことに気がつくので、救急といった仕事には向いているのかもしれません。従業員は総勢100人。そのうちパイロット29人、整備士20人、フライトナース25人、パラメディック25人、医師が1人です。

 出動にあたってはパイロットのほかにナースとパラメディックが1人ずつ乗り組みます。これがアメリカの典型的な形です。医師は本社にいて、メディカル・コントロールに当ります。実は、この会社の創業者が医師でした。救急業務に並々ならぬ情熱を注いだ救急専門のジョン・マクドナルド博士で、1987年ヘリコプター救急の効果に気がついて、自ら救急専門のヘリコプター会社を設立したわけです。

 博士は自分自身が救急専門医ですから昼も夜も本社に頑張って、社長としての指揮を執りながら、メディカル・コントロールを実行しました。その理念は「患者のためになることをせよ」(Do what is right for the patient)というもので、コストにこだわることなく、ときには1人の患者のために2機のヘリコプターを飛ばし、1機は患者のところへフライト・ナースを送りこみ、もう1機は専門医を連れに言ったり、毒蛇の血清を取りに行ったりするという具合でした。

独自の計器飛行を実施

 マクドナルド博士は、残念ながら2000年10月4日、飛行機事故で亡くなりました。その遺志は、しかし今も受け継がれ、リーチ社は医療面でも運航面でも全米最高の航空医療会社といわれています。

 たとえば運航面では、アメリカ西部で初めての計器進入を開始しました。これは病院ヘリポートへの進入に際し、霧がかかって目標物が見えなくなったとき、普通ならば着陸を断念するところですが、GPSで自機の位置を確認しながら計器進入をおこなうという飛行方式です。そして高度450フィート(135m)の、あらかじめ定められた空中の一点(ポイント・イン・スペース)まで下がり、そこでヘリポートが視認できれば着陸し、見えなければ復航して別の場所――たとえば計器誘導装置の完備した空港などへ向かうというやり方です。

 ちなみに現在アメリカでは、ヘリコプター救急のために計器進入の可能な病院が170か所ほど存在します。

 さらに病院間搬送の場合、巡航途中の飛行経路が霧につつまれているようなとき、リーチ社のヘリコプターは病院から病院まで独自の計器飛行ルートを設定し、サンフランシスコ特有の霧の中でも救急患者の搬送をしております。

 むろん勝手に航空路を設定しているわけではなく、FAA(連邦航空局)の規則にしたがっています。このような飛行経路がリーチ社専用の私的な航空路としてFAAの認可を得たのは2000年10月。全米で初めてのことでした。現在は、リーチ社に8本ほどの経路が認められていますが、全米でもまだ20か所程度ですから、リーチ社が如何に先駆的な運航をしているかが分かります。

 こうした計器飛行によって搬送した患者数は、設定から2年間で200人。月に10人近い人が、計器飛行の実現によって救われたわけです。

 なおリーチ社の創業15年間の出動は11,000回。事故は一度も起こしておりません。

欧州3か国の状況

 さて、HEM-Netではアメリカ調査の1年ほど前、2001年夏ヨーロッパ3か国――ドイツ、スイス、フランスにも調査団を派遣し、ヘリコプター救急の実状を調査しました。

 ドイツは1970年、有名な高速自動車道アウトバーンの事故による死者を減らそうとして、ドイツ自動車クラブADACが最初にヘリコプター救急に乗り出しました。発足当初、年間2万人を超えていた交通事故死は、20年余りの間に3分の1に減少するという実績をあげております。その間、ADAC(有限会社)の航空救急部につづいて、NPO法人や国の機関もヘリコプター救急に参加してきました。

 その結果、現在では全国69か所にヘリコプター救急拠点が置かれ、ドイツの殆ど全土へ15分以内に医師の乗ったヘリコプターが飛んでゆく体制が出来上がりました。その出動回数も表3のとおり、1機平均で年間1,100回を超えております。このうち、ほぼ3分の1が現場救急です。なお現場救急の場合は、原則として夜間飛行はしておりません。

 スイスは、ご存知のように山岳地が多いため、1950年代から山岳救助などにヘリコプターが使われるようになりました。これが交通事故などの一般的な救急に乗り出したのは1973年です。そのヘリコプター救急を一手に引き受けているのは、赤十字の傘下にある特殊法人REGA(スイス航空救助隊)です。

 現在は全国13カ所にヘリコプターを配備して昼夜の別なく待機しており、ごく一部の地域を除いては、アルプス山中であろうとどこであろうと、15分以内に医師とパラメディックの乗った救急ヘリコプターが駆けつける体制ができています。出動回数は、2000年の実績が年間10,559回でした。1機平均812回で、1日2.2回ずつ飛んでいることになります。

 フランスでは1986年、警察、消防と並ぶ第3の公的緊急機関としてSAMU(サミュ:緊急医療救助サービス)が設置され、これがヘリコプターを含む救急医療の全てを取り仕切っております。したがって業務の主体は官制ということになりますが、全国100か所以上に配置されたSAMUは病院を拠点とし、それぞれの拠点では医師が責任者となって救急の指揮を執っております。

 SAMUの使う救急専用ヘリコプターは民間運航会社からチャーターしたもので、2001年の時点では36機が配備されていました。ほかに消防や軍警察のヘリコプターも協力し、特に夜間の出動などを引き受けております。

欧米と日本の国際比較

 以上のような諸外国の状況に、日本の実態を合わせて国際比較表をつくると、表4のようになります。

 まず各国の特性といったものを一と言であらわすと、アメリカは良い意味で「商業的」といえましょう。ヒューマニズムに発し、コマーシャリズムに支えられた制度ですが、結果として多数の人命を救い、しかも病院経営に好結果をもたらしているわけです。

 ドイツは全国土を半径50kmの円で区切って、その一つひとつに救急ヘリコプターを配備するという「体系的」な体制です。スイスはREGAの運営費の基礎的な部分が、全国民およそ718万人の2割余――2000年は158万人の寄付で支えられているという意味で「国民的」といえましょう。

 そしてフランスは上にご説明したように「官制的」ですし、日本のドクターヘリはせっかく発足しながら目標通りに進展せず、ここでは「停滞的」といっておきます。

 この表の中で、各国の国土面積と配備の機数の関係を見てみますと、日本はいうまでもなく、378千平方キロの国土面積に7機のドクターヘリが配備されています。ドイツは357千平方キロに69機ですから、日本に当てはめるならば、73機に相当します。つまり日本の10倍の密度で救急ヘリコプターが存在するわけです。同じようにスイスは120機に相当します。

 日本の国土はスイスのような山岳地ではありません。といってドイツほど平野が広がっているわけでもありません。したがって、余り科学的ではありませんが、見当をつけるという意味で両者の中間をとれば95機前後がわが国の望ましい救急ヘリコプター数ということになるかもしれません。

 

表3 ヘリコプター救急体制の国際比較

   

アメリカ

ドイツ

スイス

フランス

   日本    (ドクターヘリ)

お国柄

商業的

体系的

国民的

官制的

停滞的

開始時期

1972年

1970年

1973年

1983年

2000年

運営主体

カウンティ

消防

REGA

SAMU

消防本部

運航者

民間ヘリコプター会社

ADAC、軍、防災局、民間会社

REGA、民間会社

民間会社

民間会社

医療搭乗者

FN×2、FN+PM

医師+PM

医師+PM

医師+PM

医師+看護師

拠 点

350か所

69か所

13か所

約30か所

7か所

飛行範囲

半径150〜200km

半径50km

全国15分以内に到着可能範囲

県単位(105県)

県単位

飛行条件

昼夜間、計器飛行

昼間

昼夜間

昼間

昼間

国土面積

7,843

357

41

544

378

配備密度

17機

73機

120機

21機

7機

運航費負担

患者(医療保険)

社会保険

パトロン+寄付+医療保険+患者

国+自治体

[注1]FN=フライトナース、PM=パラメディック
[注2]国土面積の単位は千平方キロ。アメリカの面積はアラスカ州を含まない。
[注3]配備密度は日本を基準とした場合。

 

救急ヘリコプター急増の背景

 ここで表3に戻りますが、このドイツの実績表は、実は拠点数がわずか2年間で急激に増えたことをも示しております。90年代のドイツは拠点数50か所程度、1カ所の出動回数1千件程度ということで落ち着いていました。それが、ここに示すように2年間で急増しました。ADACも増えましたが、DRF(ドイツ・エア・レスキュー)というNPO法人が、わずか2年で倍増となった点が目立ちます。その結果、出動回数はADACに及ばないけれども、拠点数は追いついてしまいました。

 このような救急拠点の急増は、ヘリコプターの運航コストの負担制度にも関係があるかもしれません。というのは急増の背景にあるのは、保険制度がうまく機能しているからではないかと思われるからです。つまりヘリコプターの運航費が、健康保険を中心とする各種の社会保険や医療保険によってまかわれているためです。

 ヘリコプターの運航費が保険から出ることになれば、飛べば飛んだだけの収入が上がるので、増加の誘因が働きます。もとより実際は、各州政府が救急飛行にたずさわる企業や団体についてきびしく規制し、保険金の支払いに当たっては保険会社や保険組合がきびしく査定しております。余談ですが、ADACの責任者だったクグラーさんが、かつて「保険金だけでは赤字になる。自動車クラブの会費で埋め合わせをしている」と語ったのを聞いたことがあります。

ヘリコプターは神様です

 最後にもう一度アメリカに戻りますが、われわれの訪ねたリーチ・エア・アンビュランス社には、ヘリコプターで救われた人びとから沢山の感謝の手紙がきておりました。

 たとえば「僕は先週金曜日、山の中で押しつぶされた車の中で絶望的な状態にありました。しかし、有難うジェーン、有難うジム、有難うトム。3人の皆さんへ何と言っていいか分かりません……有難う。感謝します。僕は生きています」

「皆さんのプロフェッショナルによって、息子は再び彼の人生を歩み始めました。ジョン先生とスタッフの皆さまに、ただただお礼を申し上げます。これからも沢山の人を助けて上げてください」

「リーチ社の救急チームによって、私どもは神に護られていることを知りました。お陰さまで、リサはまだ生きております」

 この最後の手紙はまさに「ヘリコプターは神さまです」と言っているわけで、実はこれが本日の私の結論でもあります。

 もとより、このような感謝の手紙はアメリカだけのことではありません。本日ここにおられる方々――医師の先生方を初め、ナース、救急隊員、救急救命士、ヘリコプターのパイロットや運航関係者、そして救急行政にたずさわる方も、同じような手紙をたくさん受け取っておられると思います。

 すなわち、すでに神さまのような方々ばかりですが、今後さらに皆さま方と同様の神さまを全国に増やして行く。それが私どもの願いであります。

 ご清聴有難うございました。

(HEM-Net、2004.8.10)

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