<FARE>

ヘリコプター救急の未来(3)

 

アメリカ航空医療の歴史

負傷兵の救護

 1926年、米陸軍航空隊は飛行機を改造して、ニカラグアから240キロほど離れたパナマの陸軍病院まで患者を輸送した。軍隊が負傷兵の病院間搬送に航空機を使うようになったのは第二次世界大戦中のことで、ビルマ戦線で行われたのが最初である。

 ヘリコプターによる負傷兵の護送は、1950年代の朝鮮戦争から始まった。韓国の前線は道路の起伏がひどく、遠回りしなければならないため、兵士を野戦病院まで迅速かつ安静に護送するには、地上搬送は不適だった。そこで他の任務に使われていたヘリコプターを流用し、重傷を負った兵士を後方の野戦病院へ運んで、いち早く外科手術をほどこすという応急対策が取られた。ヘリコプター搬送は必ずしも計画的に始まったものではなかったのである。

 しかし、このことから航空搬送が地上搬送よりも優れていることに気がついた陸軍は、次からは計画的にヘリコプターを負傷兵の救護搬送に使い始めた。その結果、朝鮮戦争中にヘリコプターで護送された兵員は22,000人以上に上る。そのため負傷兵の死亡率は、それまでの戦争よりも低下することになった。

 次のベトナム戦争では、航空医療がさらに本格的に活用された。負傷兵をヘリコプターによって野戦病院に護送し、症状を安定させるという基本的な考えは変わらないが、ヘリコプターが大型化し高速化すると共に、医療技術も進歩した。そのことから80万人以上の兵士がヘリコプターで救出され、護送されて野戦病院で治療を受け、死亡率はさらに低下した。

交通事故に応用

 さて1966年、全米科学アカデミーが「事故による死亡と障害――現代社会で無視された病」と題する白書を発表した。これは交通事故を初め、大けがによる死亡と障害が与える深刻な影響を明らかにしたもので、その対策として「ヘリコプターを平時の日常的な救急に活用する」という画期的な結論を導き出した。

 この結論は、近代的な救急医療体制と外傷治療体制の発展に大きく貢献した。加えて、ベトナムから戻ってきた軍隊と救難ヘリコプターのパイロットたちが、警察その他の緊急機関に就職し、飛行任務に就いたことの影響もあって、1970年に軍のヘリコプターによる交通安全支援プログラムができ、1970年3月にはメリーランド州警察のヘリコプターが救急患者の搬送をするようになった。また1972年、コロラド州デンバーの聖アンソニー病院が民間ヘリコプターをチャーターし、病院拠点のヘリコプター救急を開始した。

 1980年までに、アメリカのヘリコプター救急プログラムはおよそ32ヵ所に増え、39機のヘリコプターを飛ばし、年間17,000人以上の患者を搬送するようになった。これらの数は、1990年には174の救急プログラムが231機のヘリコプターを運用し、搬送患者数は16万人近くに増え、さらに10年後、231のプログラムが400機の航空機を使って年間203,000人の患者を運んだ。2005年には272の救急プログラムがヘリコプター753機、飛行機150機を使うに至った。


米ヘリコプター救急の成長ぶり――今世紀に入って5年間で倍増

ヘリコプター救急の成長

 現在ヘリコプターと飛行機の救急出動は、年間およそ50万件に達する。かつて典型的なヘリコプター救急サービスは、1〜2機の機材を使って病院または病院関連の企業が運営するものであった。しかし最近10年ほどの間に、これらのサービスは多くが独立し、地域社会を基盤として病院と提携する形になった。

 航空医療は1980年代後期と最近5年間にめざましく成長した。これは医療制度の変化が原因と考えられる。すなわち医療保険の給付その他の財政的な制度が変わって、地方の病院が閉鎖されたり、診療科目や専門医を減らすようになり、地理的な医療体制に大きな空洞ができた。実は、そのような地域こそ深刻な交通事故の多いところでもある。アメリカの死亡事故は、60%がそうした医療過疎地で発生し、都市部とその近郊の事故発生率に対してほぼ2倍になっている。

 そこで、こうした空洞を埋めるために熟練の医療スタッフを乗せた航空機が飛ぶようになり、専門医による治療を可能にする。また時間が決定的な重要性を持つ治療――たとえば心臓発作や脳卒中の血栓溶解、血管形成術などは、航空機の利用によって患者の転帰が改善されることが分かっている。したがって地方の専門医や専門的医療施設が不足しているとすれば、航空機の利用はますます増加する結果となる。(つづく

(HEM-Net、2007.2.15)

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