<アスカ21>

二の矢を継ぐ

益子 邦洋
(日本医科大学千葉北総病院救命救急センター長) 

 

 交通事故により体内に大量の出血を来たした負傷者は、事故からの時間経過に伴い命が削られる。その命を救えるか否かを左右する最も重要なファクターは"時間"である。それ故、「救急医療は時間との闘い」とのキャッチフレーズが、新聞、ラジオ、テレビ等でしばしば用いられる。時と場所を選ばず発生する交通事故負傷者に、いかに短時間で適切な治療を行うかは、その国家が国民の命をどれだけ重く受け止めているかと表裏一体であり、社会の成熟度を図る指標のひとつである。

 平成13年度から厚生労働省事業としてスタートしたドクターヘリ事業は、"翼を持ったER"と呼ばれ、救急現場への迅速な医師派遣により、尊い人命の救助や後遺症の軽減に大きな効果を挙げている。平成19年度の事業実績は全国13道府県14箇所で、出動件数5,263件、診療人数4,901人であり、出動件数は平成18年度に比べ18.4%増加した。

 「救急医療用ヘリコプターを用いた救急医療の確保に関する特別措置法」が平成19年6月の通常国会で可決・成立し、平成20年6月に閣議決定した経済財政改革基本方針2008(骨太の方針2008)に「ドクターヘリ を含む救急医療体制の一層の整備」が盛り込まれたことから、ドクターヘリ全国配備の基盤が整ったといえる。平成20年度には、青森、群馬、沖縄でもドクターヘリ事業がスタートすることになっており、千葉県では2機目のドクターヘリ配備も決定した。

 一方、これまでもそうであったように、これからも救急車が病院前救護(プレホスピタルケア)の基本であることに何ら変わりはない。重症患者であるにも関わらず、救命救急センターへ搬送するのに長時間を要するなど、救急車では間に合わない緊急事態に際し、代替手段としてドクターヘリを活用するだけのことなのである。救急搬送時間が全国的に延長している今、"二の矢を継ぐ"戦略としてのドクターヘリ配備は極めて大きな意味を持っている。

 2008年7月3日から9月11日の最終回まで、フジテレビ系列で毎週木曜日夜に放送された連続テレビドラマ「コード・ブルー」は、「この国には、もっと救える命がある。」をキャッチコピーとして、最高視聴率21.2%、平均視聴率15.9%を記録した。2009年新春には、『コード・ブルー −ドクターヘリ緊急救命−スペシャル』(仮題)の放映も決定した。ヘリコプターを活用して医師が現場から救命医療を行うことが、ごく当たり前の救急医療の姿として、今後益々国民に理解されるようになろう。

 しかしながら、わが国のドクターヘリ事業は午前8時30分から日没までのミッションであり、日中のみの運航となっている。また、雲が低くたちこめていたり、視界が悪いなど、悪天候の際には出動することが出来ない。千葉県の調査では、交通事故により負傷者が死亡した事故の発生時間帯の内、ドクターヘリ運航時間内に発生したものは僅か3割に過ぎない。ドクターヘリの活動時間を日の出から夜8時まで延長すると仮定した場合、約45%の死亡事故に対応可能なことが明らかになった(図1)。従って、夜間や悪天候時の代替手段、即ち"二の矢"が必要な所以である。

 ドイツ、フランス、イギリス、オランダをはじめ欧州諸国では、このような場合、ドクターヘリの代替手段として救急車を活用しており、これに医師が同乗して迅速に現場へ出動する仕組みが出来上がっている。

 わが国では、都市部ではドクターカー、過疎地域ではドクターヘリというような棲み分けが必要との意見もあるが、筆者は基本的に、ドクターヘリ事業実施病院は、ドクターヘリの代替手段としてドクターカーを整備し、24時間体制で医師が現場へ出動する体制を確保しなければならないと考えている。

 勿論、これを実現するためには、ハード、ソフトの両面から体制整備を図る必要があり、行政当局からの財政支援が必須であることは言うまでもない。大切なことは、交通事故に遭った重症患者に如何に早く医師が治療を開始するかであり、そのツールは救急車であってもヘリコプターであってもかまわないのである。

 2005年の国際航空医療学会では、ドイツでは15分以内に84%、20分以内に94%、25分以内に97%の患者が医療を開始していることが報告され、2007年の日本航空医療学会総会では、ロンドンでは75%の患者は8分以内に現場で医療が開始されていることが報告された。同様にスイスもアルプスの山岳国でありながら、国内の全域にわたって昼夜を問わず、15分以内に医師が現場へ駆けつける体制が確保されている。

 さて、全てのドクターヘリ基地病院にドクターカーを配備したとして、重症患者であれば、いつでも、どこでも、誰でも事故や急病に見舞われてから15分以内に高度な医療処置を受けることは可能になるであろうか。残念ながら、答えは否である。

 救急車の緊急走行速度は時速40〜50kmであるから、ドクターカーの15分圏内は半径約10kmでしかない。従って、基地病院から半径50kmはヘリでは15分圏内であるが、ドクターカーでは1〜1.5時間圏内と考えなくてはならない。つまり、ドクターカーを活用して全国津々浦々を15分以内の医療開始圏とするためには、1機のドクターヘリがカバーする半径50km圏内に約25ヶ所のドクターカー基地病院を整備しなければならない計算になる。しかしながら、各地で医療崩壊が進み、医療機関の集約化と連携が声高に叫ばれている現在、このような解決策は机上の空論でしかない。

 この問題を解決するためには、厚生労働省が精力的に検討を進めている"スキルミックス"、つまり、医師でなくても出来る仕事は医師以外の職種に委ねることが必要である。具体的に言えば、看護師や救急救命士を活用してプレホスピタルケアの質を確保する策を講じるべきである。

 米国では看護師に特殊な教育・研修を行い、資格を与えて医師の代わりをする仕組みが既に確立している。全身麻酔を担当する麻酔看護師、手術の手伝いを担当する外科看護師、ヘリコプターに搭乗して救急現場で医師同様の仕事をするフライトナース、救急外来で患者を診察して重症度や緊急度を判断し、適切な医師へ引き継ぐか簡単な処置や投薬を行うトリアージナースなど、枚挙に暇がない。

 救急隊員も然りであり、シアトル市消防局のパラメディック(わが国の救急救命士に相当)は、表1に示す処置を医師の事前指示で、または無線等を介した直接指示で行うことができる。

 このような仕組みがうまく機能するためには、メディカルコントロール体制が確立していなければならない。即ち、医師が責任を持って彼らの活動指針を作成し、指針に従った行動が現場で遅滞なく実施されるように徹底した教育・研修を行い、24時間365日体制で必要な指示、指導、助言体制を確保し、現場活動を医学的見地から事後に検証し、その結果をフィードバックして質の向上に繋げることが必要である。この活動は医療の質の確保に必須であり、PDCAサイクルと呼ばれる(図2)。

 わが国で救急救命士法が制定されてから今日までの歩みを表2に示したが、米国のパラメデイックに習ってプレホスピタルケアの質の向上を目指して育成された救急救命士は、誕生から15年を経た今でも、心臓が止まらない限り、傷病者に点滴をすることすら許されていない。つまり傷病者の心臓が止まって初めて、高度な医療処置が可能になるのである。欧米のパラメデイックやフライトナースは、緊急事態に際して、重症患者を心停止に陥らせないために点滴を行うのであり、まさに「世界の常識は日本の非常識」と言わざるを得ない。

 当地域のメディカルコントロール協議会では、平成20年7月23日の内閣官房地域活性化統合事務局から出された構造改革特区第13次提案募集に呼応する形で、「救急救命士による心肺機能停止前の静脈路確保と輸液について」を含む4件の特区申請を行った。これに対し、総務省はいずれの提案にも好意的で前向きの回答であったが、厚生労働省はC判定として、特区として対応が不可能との回答であった。

 ドクターヘリを、救急車の代替手段として、時間との戦いに勝つために活用することと、救急救命士を医師の代替手段として現場で活用することとは同一線上にあり、「二の矢を継ぐ」戦略を確保することに他ならない。筆者らは、地域のメディカルコントロール体制をより強固なものとしつつ、救急救命士の処置拡大に向け、特区申請を引き続き行うことにしている。(「アスカ21」No.68、2008年10月25日所載)

 

(HEM-Net、2008.11.2)

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