第3章 全国の農山村に見る医療過疎の問題とヘリコプター 前2章で、農山村地域における救急体制の問題点と、それに対するヘリコプター利用の意義および効果を見てきた。
本章では、全国の農山村地域で救急医療がどのようにおこなわれているか、その実態をヘリコプターとの関わりにおいて、具体的に見てゆくこととする。
1 農作業とヘリコプター
1-1 農作業中の事故と健康障害 農業や林業における大型機械の利用は、今や当然のこととなっている。実はヘリコプターの利用も例外ではなく、1960年代から農業の近代化をめざして本格的に使われるようになった。つまり救急機としてのヘリコプターではなく、農業機械としてのヘリコプターである。
農薬散布用のヘリコプターは、1970〜80年代の夏の繁忙期には250〜300機が全国の水田に飛び交った。最近は環境問題、農薬の改良、品種の改良(病虫害に強い稲)その他の要因によって散布機数が減っているが、水稲の農薬ばかりでなく、松食い虫防除、野鼠駆除、木材搬出、崩壊地の植生など、さまざまな農作業に使われている。その意味では、農山村とヘリコプターとの関係は決して新しいものではなく、本報告書が扱う農山村地域の医療問題にヘリコプターが活用されるのも、決して不自然ではない。むしろ当然といってよいであろう。
一方、地上の農業機械が発達し、高性能化、複雑化、大型化するようになると、機械の利用による死亡事故や、思わぬ健康障害も多発するようになった。
農林水産省の集計によると、2001年に発生した農作業中の死亡事故は396件であった。そのうち、農業機械を使った作業によるものが272件(69%)で、農作業死亡事故の大半を占めている。機械の種類は乗用型トラクター、歩行型トラクター、農用運搬車、自脱型コンバイン、動力防除機、動力刈払機などである。
機械作業のほかに農業用施設作業によるものが17件(4%)、機械・施設以外の作業によるものが107件(27%)であった。
また年齢階層別には、60歳以上の高齢者の事故が323件(81.6%)ときわめて高い。うち65歳以上が72.2%、70歳以上が54.3%を占める。こうした高齢者の事故は年々増加する傾向にあるが、これは農山村地域の高齢化が進む一方で、機械の高性能化や複雑化が進むため、作業者の機械への適応がむずかしくなりつつあることを示している。したがって、これを減らすのは決して容易ではなく、事故の総数もなかなか減らないであろう。
具体的な統計数値は表3-1の通りである。
表3-1 農作業中の死亡事故 [資料]農林水産省、2004年1月30日
年 死亡事故総数 うち機械作業事故 60歳以上の事故 1992 401 316 256 1993 371 259 262 1994 409 309 295 1995 397 273 288 1996 394 262 314 1997 402 300 314 1998 376 295 293 1999 381 284 297 2000 406 300 317 2001 396 272 323 さらに死亡事故には至らなくとも、機械の騒音、振動などが原因で難聴、胃腸障害、神経・椎骨異常などの健康障害もおきている。また農薬中毒,高所作業での転落、ハウス病などの事故や健康障害も見られる。
しかも、こうした事故が起こった場合、農山村地域の多くが高度医療施設から遠いことを考えると、ヘリコプターの利用は不可欠と考えてよいであろう。
1-2 耕耘機による負傷者をドクターヘリで救った症例 愛知県では、2002年1月から愛知医科大学附属病院を拠点としてドクターヘリの運航を開始した。その結果、この1年半ほどの間に耕耘機の事故による負傷者6人の救急搬送を実施した。
耕耘機の事故は操作の誤りによって起こることが多い。横転によって体をはさまれたり、刃によって体の一部を損傷する例も見られる。特に身体を刃が貫通した場合は救出までに時間を要し、出血も多いことから救出中にショック状態になることがある。
愛知県ドクターヘリが救急に当たった6例は、耕耘機の横転による外傷が2例、刃による負傷が4例であった。これらの症例を実際に経験した結果、耕耘機による事故においては医師がドクターヘリで飛び、現場で早期処置をすることがきわめて有効であることが明かとなった。
横転事故の2例は、上肢または指肢の損傷であった。上肢の損傷をきたした1例は開放性骨折が生じ、出血は少量だったが、創痛が強く鎮痛剤を投与した。
刃による損傷の4例は、いずれも刃が体の一部を貫いていた。このうち3例は救出に時間を要し、ヘリコプターに乗り組んだ医師が現場に行き、救出作業中に静脈路の確保をした症例であった。身体を刃が貫いているときは、そのまま刃を体につけた状態で救出しなけれぱならないが、耕耘機が錆びた状態でもあり、受傷時に変形した刃をはずすことは相当に困難であった。そのため患者は出血に伴う血圧の低下、創痛による体力の低下などを生じ、容態が悪化する。したがって静脈路による輸液負荷や痛みの軽減が必要となる。
このように、ドクターヘリは医師が現場に行き、処置を行うことで患者の状態を悪化させることなく病院に搬送することができる。6例の負傷者は、いずれも命をとりとめたが、このような症例はまさに、ドクターヘリが有効であった実例であるとして、愛知医科大学でも高くヘリコプターを評価している。
同大学によれば、耕耘機の刃が身体を貫き、救出に時間がかかる場合には、救出作業中でも患者の治療をしなければショック死に至る可能性がある。現場で治療を行うことは患者の状態を安定させ、病院搬送後も状態を悪化させることなく、早期に手術を行うことが可能となり、早期の退院が可能となる。今後、このような症例はドクターヘリの対象症例として増加してゆくものと考えられる。
1-3 愛知県東部の農山村地域の救急医療 これは農作業中の事故に限ったものではないが、愛知県東部の農山村地域で、ドクターヘリが救急医療に威力を発揮した事例である。
愛知県東部は山あいの農山村地域だが、面積は愛知県の中で約3割を占める。しかし人口の減少(居住人口は現在約9万人)によって過疎化が進み、医療機関も少なく、救急医療体制は充分とはいえない。救急車の数も限られていて、救急要請をしてから最初の救急隊が到着するまでに10〜15分を要するほどである。したがって重度の救急疾患では、生命の危険を招きかねない事態も時どき見られた。
そこへドクターヘリが投入されたわけで、その効果はすぐに明かとなった。2002年1月から2003年7月末までの1年半ほどの間に、この地域にヘリコプターが出動した件数は126件で、県下全域の出動件数570件の22.1%を占める。
当初、ヘリコプターの運用に不慣れなうちは、救急隊が現場に到着後、患者の容態を見てドクターヘリの要請をすることが多かったが、最近は消防本部の覚知直後に要請が出るようになった。そのためドクターヘリは救急隊とほぼ同時に、15〜20分で現場上空に到着することができる。
また、ヘリコプターの着陸も、ほとんど問題なく現場のすぐ近くに降りることが多くなった。こうしたことから、農山村地域でも早期の治療が可能となり、適切な高次医療機関へ迅速な搬送もできるようになった。
つけ加えるならば、こうした医療過疎地の救急搬送は、重症患者ばかりを対象としていては不充分になる。中等症であっても適切な病院がないため、やはりヘリコプターで遠くの高次病院へ搬送しなければならない。したがって、ヘリコプターを必要とする度合はいっそう高いということになる。
【参考文献】
- 三木靖雄、野口宏ほか(愛知医科大学附属病院)「耕耘機により負傷しドクターヘリを要請した症例の検討」、2003年11月12日
- 三木靖雄(愛知医科大学附属病院)「愛知県東部の救急医療におけるドクターヘリ出動実績」、2003年11月1日
(HEM-Net、2004.9.28)