<HEM-Net対談>

「命の危機」に警鐘を鳴らす

柳田邦男(作家、評論家)

國松孝次(HEM-Net理事長)

  

國松 ドクターへリの法案化を検討する「与党ドクターへリ・ワーキングチーム」が構成され、ようやく国のレベルで議論が始まりました。

柳田 政治が動くというのは重要な一つのステップですね。

國松 今回の臨時国会で法案の成立を目指すということですが、それは、かなり難しいとしても、来年(2007年)の通常国会までには具体的な形ができていくと思います。HEM-Netもヒアリングに呼ばれましたので、意見を述べてきました。それをベースに、我々なりに「救急ヘリ整備基本法の制定を願って(仮称)」という提言を作りました。厚生労働省には「今でもやっているのになぜ法律にしなければいけないのか」という反対論がかなりあるので、まだ紆余曲折があると思いますが、なんとか法律を作って、国の基本的な方針を示してもらいたいと願っています。

柳田 救急ヘリの本格的な体制整備は法律抜きではできないと思います。第一の理由として、救急ヘリは国家の緊急事態に対して大変重要性があります。かつてドイツは全地域に15分以内に1機以上の救急ヘリが到着するよう整備しました。東西ドイツの緊迫した状態の中で核戦争の危機があり「どこで何が起こるかわからない」ということを前提に配備を急いだのです。また、時速200キロ以上で車が走るアウトバーンで多重衝突事故が起きるという現実があったからです。その両方からに救急ヘリを国策として重視しました。

 今、日本はドイツと類似した状況でしょう。北朝鮮問題が非常に緊迫しており、外交的に解決した場合でも、将来どういう事態が生ずるかわからない。アメリカの緊急事態法では緊急事態局が災害だけでなく有事にも対応します。日本もそういう考えを持たなければいけないところに来ている。それを「従来からやっているから法整備は必要ない」と言うのは考え方が甘いですね。

 第二の理由は、国が人命に対して一貫して強い関心を払い、国民の生命を守るために特別の救急体制を組むには、時代状況に即した法整備をしないと進みません。現在、対外的な非常事態における外敵に対する危機管理はテンション高く取り組まれていますが、国内のどこで起こるかわからない非常に多様な災害や事故、事件といった日常生活の中での命の危険はどうでしょう。新潟中越地震のように山間地域で自動車によるアクセスが不可能な地域での災害、高速道路での多重衝突、ビルの回転ドアからエレベーターまで、生活空間の中におけるさまざまな事故が多発していることを考えると、ドクターへリの必要性は高いです。その一方、医療機関が財政ひっ迫の中で合理化をし、救急患者を専門医がいないという理由で受け入れないところがどんどん増えている。日常の生活における人命の救助の手だてが日本は抜けているのです。

弛緩した危機管理体制

國松 以前に開催したHEM-Netのシンポジウムで、われわれの「日本の救急ヘリ、救急体制は停滞的だ」という発言に対し、柳田さんは「国は人命尊重とは言うが、それから先のことは停滞的でなく弛緩的で緩んている。ひいては危機意識も緩んでいる」と発言されました。このご指摘で、私は日本の救命救急に喝を入れるためにも、国の法律で明確にヘリ整備に関する国の基本方針を定めることが必要だと考えたのです。このままでは10年経ってもあまり変わらない。

柳田 私は考えがもっと大胆です。行政のレベルで「国内の日常における命の危機管理」を内閣の政策課題にすべきだという提言書を9月に提出しました。環境省が水俣病の公式確認50年を今年で迎えたので懇談会を作って1年半ほど検討してきました。その中で、水俣病は異常事態が発生してから12年間も政府が公的に認知しないで放置していたために、甚大な被害が広がりました。国民の健康や命をおびやかす異常事態が発生した時の危機管理体制が欠落していたのです。役所は新しい課題には目が行かない、問題意識がない、先送りにするという弛緩した状態です。今だに本質的に変わっていない。

國松 キーワードはどうも「停滞」というよりむしろ「弛緩」ですね。

柳田 「国民の命の危機管理基本法」の構想は、対外的な危機管理と軍事的な危機管理を両輪にします。その二つは同じ命の危機管理でも性格が違い、非常に多岐にわたります。大震災、台風災害、公害、薬害、産業事故、交通機関の事故などいろいろとあるわけです。具体的に何をするかというと、各省庁に任せず、国民の命にかかわるあらゆることを包括した機関ができて、その中にさまざまな部門を設置します。非常事態が発生した時、速やかな対処、原因究明、改善策、救急医療体制の整備、被害者救済、家族のサポートまで全部行うのです。このような大きな枠組みが基本法の中で謳われると日本の行政は多岐にわたって根本的に変わらなければならなくなります。

國松 そうなると私たちの「救急ヘリ整備基本法」はちょっとスケールが狭いですね。

柳田 いや、大きな基本法の中の救命体制の最重要項目として救急ヘリを掲げたいです。HEM-Netが提示している構想は、命の危機管理の中非常に重要な各論なのです。

新たな制度には新たな出費があっていい

國松 与党のドクターへリ・ワーキングチームが「難しい」というのが保険の適用です。保険の適用にはものすごい拒否反応があります。日本医師会は「ドクターヘリは結構ですが保険はいけません」と反対の決議をしたようです。

 大きな理由は二つ。一番多い国民健康保険の保険者は市町村ですから、保健を適用すると「都道府県に資金がないからといって、負担を市町村に振るのか」と反対されます。しかし現状では県の負担が大きく、ヘリコプターが本当に必要な地域を管内に持つ中小の県は、お金がなく、ドクターヘリの整備は、後回しです。現実の問題として、救助されるべき人命に地方格差が生じて入る。これを解消するために、被保険者がドクターヘリで運ばれたら保険で応分の費用を負担するという仕組みを作ったらどうか。市町村だけが全額持てというのではありません。運航費用の負担を多様に分担して国も都道府県も保険者も出し、負担を軽減するという知恵です。

 もう一つの反対論は「救急車は税金で無料なのに、ヘリコプターだとなぜ自己負担の生じる保険なのか」となる。それは、医師が現場に行くということが救急車との違いであり、医者の現場派遣費用と考えたらその切り分けは可能でしょう。

柳田 現行制度から動こうとしない所に行政の問題があります。新しい体制を実現するには新しいお金の使い方もあるという軌道修正をしません。「救急車はこうなのに、なぜヘリコプターだけ優遇するのか」ではなく「ヘリ救急の特殊性を考えると新たな出費があってもいい」という発想に切り替えるだけの話です。しかし、総医療費抑制という大命題があるのと、出費項目が増えるのを可能な限り抑えるという命題を持っているため、余計なことはやりたくない。まさに弛緩した考え方ですよね。

 現在、福祉や保険制度での受益者負担や自己負担などがどんどん変わっています。体制としてそういう方向ならば、ヘリ救急もある程度受益者負担を考えていい。例えば、臓器移植では臓器の搬送に飛行機を使うことがありますが、20〜30万円ほどの燃料費を受益者負担で払っている。しかし負担額が大きいので、保険で少し補うようになった。臓器移植で救える命の緊急性を優先しているのと同様に、ヘリ救急も救える命の緊急性を考えるべきです。

役人主導型から政治主導型へ

國松 ドクターヘリの費用は現在のドクターヘリの年間飛行回数、1機あたり400回を基準に計算すれば1回当たり50万円。それを国、県、市町村が少しずつ負担すれば保険者たる市町村は被保険者がヘリコプターのサービスを受けて運ばれた都度、10〜15万円を払えばいいことになると思います。さほど巨額の負担金を保険者間で受け持つことはないでしょうし、保険を使うことになれば、さらに任意保険などで分散することもできると思います。

 良い例がスイスです。スイスのヘリ救急隊(REGA)は、国費などを一切入れずに運営し、保険と寄付ですべての経費を賄っています、寄付と言っても一種の保険で、年間30スイスフラン(2700円程度)の寄付(保険料)を支払えばヘリコプターで何度運んでもらっても無料です。スイスでは170万人が加入していますから、日本なら3000万人が入らなければならない勘定になる。3000万人も入る保険を一気に作るのは難しいかと思いますが、とにかく知恵を出せば、国費なしでも、救急ヘリは飛ぶのです。いろいろな運航費用の出し方があるという多様性を認めて制度や仕組みを作るべきではないでしょうか。

柳田 何でも税金でという時代ではない。時代の要請というのは資金繰りをどんどん開拓していくことでしょう。寄付金なども動員しながらやれば随分世の中は変わっていくと思います。

國松 公共性が高いから医療提供の仕組みは国が公的な金でやります、というだけでは成立しません。ですから、国家が、立法論としてやってもらいたい。現行法で保険局と医政局が話し合ってもまず絶対に話が進まないですね。

柳田 今のように財政削減とか小さな政府というのが至上命題であると、役所はできるだけ新しいことから逃げて削ることばかり考えがちですから、天からの命題、つまり法律がないと動かない。この10年で、政治のプロセスが変わってきました。昔は与党に派閥があって、お役人は政治家の顔色を伺いながら根回しをし、役人が作った法案を通してきた。最近は与党が新法案のプロジェクトチームを作り、そこで練っていく。あるいは小泉首相からですが、内閣が大統領制に近い形を取って内閣官房が政策立案と全体のやりくりを主動的に行なうスタイルが出来てきた。役人主導型の時代から政治主導型になった。その観点から言えば、与党の中にドクターヘリのプロジェクトチームができたというのはいい流れだと思います。

國松 これで正式の枠組みによる話が始まりました。やはり保険、民間の寄付、国、県とすべてが費用を出すという多様化した仕組み作りをお願いしたい。さらに、民間の寄付の受け皿としての「基金的」のような組織を作ることを実現していただきたいですね。

医療改革の中のヘリ救急の位置づけ

柳田 基金を作る場合、何を重点的にカバーしていく構想ですか。

國松 まだあまり詰めていませんが、例えば、ドクターヘリには空振りがあります。現場に行ったら患者の回復や死亡などで医師が医療行為をせずに戻ることがある。そうなると保険が払われないケースが起きることになる。その分を基金で補てんすることがあってもいいと思います。また、基金でお金のない県の運航費用不足分を補てんする。そういった発想です。

柳田 賛成ですね。今のような格差社会では、被保険者や患者の自己負担分に所得格差を作った方がいいと思います。年に何千万円も収入がある人は全額自己負担、低所得者は最低限5万円とか、ゼロにするとか。そういう場合に補てんするのも一つですね。また、医者不足など地方の過疎地の疲弊はすごい勢いで進み、お年寄りで所得もない人が多いので基金で面倒を見てあげないとならないですね。

國松 医者が都市部に集中するほど、過疎地の医療サービスが落ちることになります。患者を広域に搬送できるドクターヘリを活用して、サービスの低下を回避できることが考えられます。医療改革の中にヘリ救急をちゃんと位置づけて考えなければならないでしょう。

柳田 それは重要なポイントですね。医療改革というのはとにかく費用対効果、過疎地には住んでもらわなくてもいいというような医療過疎を是認する改革になっています。医療改革の中で医療過疎はもう避けられないのなら、遠距離救急に対する体制を同時に作っていかなければならないと思います。

國松 しかし日本は遠距離救急の必要な地域にヘリがありません。地方の各地で、相当数の方々がヘリがないために亡くなっているという事実があることを行政官は直視しなければいけない。昨年、柳田さんは「2.5人称の視点」ということをおっしゃいました。要するに「規則ではこうなってます」と第三者的に物を言うのではなく、自分がなったらどうするんだということですよね。

柳田 今の行政は、あまりにも法が細かく整備されたために、悪い意味で機械的になりすぎました。法令規則が完璧なので行政官はその枠から出ようとしない。「新しいことはアンバランスで不公平になるからやりません。財政縮小で費用対効果を考えるとそんなにお金は使えません」とネガティブな方向に行ってしまう。「もしあなたの家族が危機に瀕したら、それで納得できますか」というのが「2.5人称の視点」なのです。

「2.5人称の視点」から考える

柳田 最近、国が裁判で負ける例がたくさんあります。例えば、原爆症認定が機械的すぎる、あるいは炭坑やトンネルでの塵肺訴訟では、国が安全対策を怠り責任を逃れてきたのは不作為だということで国は負けています。これは、法律を理由とした言い逃れでは済まなくなってきているということ。被害者の立場に立って早く手を打つ姿勢が司法の側から問われているのです。

國松 ドクターへリも行政に「2.5人称の視点」で取り組んでもらえば、おのずと答えが出てくると思います。

柳田 責任ある地位の人が決断すればできます。この視点は法律を無視しろとは言ってません。法律や慣例は大事にするが、その中で決断する人が柔軟性を持って運用すればなんとでもなるのです。去年、日本航空の安全顧問を頼まれた時のことです。日航はこれまで御巣鷹山の残がいを廃棄する方針で倉庫の片隅に置いていましたし、長い間「事故調査も済み、結論も出ているからもういらない」と言ってきました。しかし遺族は「その残がいに我々の、死んでいった人の無念の思いがある。それを見ることが社員にとって事故を風化させない、二度とやってはいけないという訓練の最高の教科書になる」と主張してきました。「事故の教訓を風化させないで、残がいを教育訓練に役立てて欲しい」という気持ちがとても強かったのです。

 私は「『2.5人称の視点』というものがあるならば、日航の経営者も社員も、自分の家族が被害者だったら、自分の愛する子供が乗っている飛行機だったら、その残がいを粗末にできるか。それをぜひ忘れないで欲しい」と提言したのです。すると当時の社長がそれを全面的に受け入れ、20年間拒否してきた態度を180度変えました。整備工場の一画を安全啓発センターとして、事故を象徴する壊れた尾翼、遺族の無念の思いを象徴する壊れた椅子などを整然と並べた展示場を作りました。そしてそこには、細かい破片の特設コーナーがあります。墜落現場には、事故調査委員会が「いらない」と言って拾いもしなかった破片がいっぱい落ちていました。それを遺族は「こんなに粗末に扱われたんじゃ困る」と自分たちで拾って段ボールに入れて保管していたのです。「そこにこそ遺族の思いというものがあり、この破片一つでも捨てられないものがあるのだ、と社員が知ることも大事だ。物理学、法律学的に何の意味もないように見えても、人間というのは学問で生きているのではない。感情や精神で生きているのだからそれも展示すべきだ」との提言から日航は特設コーナーを作ったのでした。「2.5人称の視点」を理解して、経営者なり行政のトップがその気になればいくらでも変えられることがあるのです。

現場に立って現物を見る

國松 トップが本当にやる気になって、「やる」と言えばできる話なのですね。今、われわれが主張しているのは、トップの最たるものとしての立法府に「やる」と言っていただくことです。 

柳田 大事なことは、現場に立ってみる、現物を見る、そして当事者の気持ちを思う。すると「これではいけない、何かしなければ、どうすればいいのか」という考えに繋がっていくのです。ですから、救急ヘリだったから救えた命、ヘリコプターがなかったために失われた命、その事例を具体的に列挙して報告書などを作成すればいいのではと思います。ヘリ搬送の事例だけで1冊作って、政治家や行政にぶつけるとものすごくインパクトがあると思いますよ。

國松 我々も当誌で毎回1件、助かった人の実例を紹介しています。そういうものを積み重ねてゆく必要がありますね。最後に、ドクターへリ基本法制定について包括的なご提言はありますか。

柳田 バージョン7を拝見して良くまとまっていると思います。目的の項で「なぜ救急ヘリが必要か」ということを謳っていますが、あえて言えば、第3項の「国の責務」の中に、大きな枠組みとして「2.5人称の視点」や国民の命の危機管理という視点が上手く触れられたら、より説得力が出てくるのかなと思います。 

 柳田邦男

作家、評論家。現代人のいのちの危機をテーマに、災害、事故、公害、医療などの問題に長年取り組んでいる。72年「マッハの恐怖」で大宅壮一賞など受賞多数。近著に「この国の失敗の本質」「緊急発言いのちへ!」「阪神淡路大震災10年」「壊れる日本人」など。

 國松孝次(くにまつたかじ)

救急ヘリ病院ネットワーク(HEM-Net)理事長

(HEM-Netグラフ、2006年冬号所載)


(写真:五十嵐栄二)

(HEM-Net、2007.6.8)

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