<中越地震事例検討会>

立川基地からの救援飛行

陸上自衛隊航空学校霞ヶ浦分校長

平野 隆之

 私は中越地震の後、霞ヶ浦校の校長になりましたが、地震当時は立川の東部方面航空隊長として直接災害派遣にかかわりました。

 実際におこなった航空活動は、航空偵察、人員空輸、航空輸送、指揮連絡など、ほとんど全てのことをやりました。その中から、ここでは緊急医療支援についてお話ししたいと思います。

 まず緊急医療支援について、地震発生の翌24日12時45分、邉見先生から私のところに電話がありました。現地の医師が不足しているので、緊急派遣のためにヘリコプターを出して貰いたいという要請でした。

 この日は本当にばたばたしているときで、うちには43機の航空機がありますけれども、使える航空機はほとんど全機、現地へ飛んで行ったあとでした。そこで航空機があるかないか、3機出るか出ないか、まずこれを確認しまして、それから上級部隊の方面総監の承認を取って3分後にゴーをかけました。

 13時23分に医療スタッフ14名が、飛行場の正門を通過しております。そして目的地との細部調整、搭乗前のブリーフィング、医療機器の積載などをして14時9分、HU−1ヘリコプター3機に分乗して離陸しました。そこから小国町まで所要時間1時間14分を飛んで、15時23分に着陸しました。

 次に翌25日12時37分、再び邉見先生から電話があって、現地で医薬品が不足している。これを何とか運んで貰いたいという要請です。「はい、わかりました。運びましょう」と言うことになったのですが、天候が悪くて離陸できない。何とかならないかと、しばらく天候を見ていたところ、谷川岳を回るルートの峠があいたという情報がぽんと入ってきました。

 なぜそれが分かるかというと、東部方面航空隊では災害がかかると、周辺各地の、たとえば三国峠などに無線機を積んだ車で気象観測員を派遣します。その情報を受けて16時40分に離陸、やれやれと思ったんですが、またふさがってしまい、どうしても突っ込めなくて引き返してきた。まことに悔しい思いをしました。

 夕方18時20分、戻ってきた航空機が立川に着陸し、しばらく気象状況を継続的にチェックしていたんですが、どうも今晩は回復の見込みがないということで断念しました。しかし、せっかく請け負った任務ですので、それならばと車両で送ることにしました。医薬品を航空機から車両に載せかえて、小国町の役場に送り込んだわけですが、所要時間は9時間31分です。先ほどヘリコプターの所要時間が1時間14分でした。

 

訓練の重要性と計器飛行の実現

 以上のようなことから、今日は2つの点を強調したいと思います。一つは、日ごろの訓練の重要性です。これができていないと、離陸までの準備に時間がかかる。搭乗前教育ブリーフィングはなかなか大変で、通常は15分くらいかかる。ところが立川飛行場は広域防災基地ということになっていて、自衛隊の航空隊と邉見先生の医療センターとはほとんど同じところに位置している。そこで普段から実際のフライトを含んだ共同訓練をおこない、緊密な連携ができている。これが大変役に立って、搭乗前教育はほとんど5分かからなかった。14人の全員が訓練を受けていれば、もっと早かったはずで、可能な限り全職員の方が常日ごろから訓練しておくことが大事だということを改めて感じました。

 次の問題は、気象条件が悪くても飛べるようにしておく必要がある。現在は有視界飛行ですから、災害時といえども雲の中を突っ切って飛ぶようなことはできない。それをやるには計器飛行のクリアランスを取り、それなりの施設のある飛行場に降りる。これがもしできれば、1時間14分で緊急薬品を空輸できたはずです。

 これは何も自衛隊のヘリコプターだけではなく、ドクターヘリだって計器飛行が可能になれば運用の範囲が大きく広がる。むろん技術的には可能です。今度の地震で東部方面航空隊は、実際にレーダーを現地に持っていった。災害派遣では初めてです。これを使うと、管制官が航空機をコントロールしながら、GCAと言いますけれども、ぴたっと目的地まで引っ張ってレーダー誘導で着陸できる。なおかつ当時、12月1日現在の東部方面航空隊のパイロットは全員これができます。そういうこともあるだろうというので、普段から訓練をしていた。

 そうなると車で9時間31分のところがヘリコプターならば1時間14分で送りこむことができる。どれだけの人が助かるだろうかと、私は痛烈に感じております。

(HEM-Net、2005.7.27)

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