<調査報告書>

交通事故とヘリコプター救急

 

第5章 メリーランド州警察航空隊

(承前)

8 交通事故死亡率の低下

 ここでもう一度、第2章で見たADAMSをふりかえりながら、アメリカの交通事故の実状を見てみたい。

 ADAMSによれば、救急ヘリコプターが15分以内に飛んでくることのできる地域は、全米の国土面積の2割以下であった。しかし人口は、4分の3がその範囲に住んでいるので、救急体制としはかなり良いように思われた。しかし交通事故に絞って考えるならば、どのくらいの道路がヘリコプターで15分以内の範囲に入っているかが問題となる。

 実は、全米では州および国のハイウェイの総延長距離の中で、ヘリコプターが15分以内に飛んでこられる部分は33%しかない。まさしく道路というものは、田舎でも山中でも、人の住んでいないところでも延々とつながっていなければならない。とりわけ幹線道路はそうであろう。

 そのような辺鄙な土地を走る道路上で事故が起これば、救急体制が不備であるばかりでなく、目撃者もいないかもしれない。したがって救助が遅れる。先に見たACN(交通事故自動通報システム)を車に取りつけることの意義はそこにある。しかも、それがADAMSデータベースとリンクすれば、迅速な救急出動が可能となる。

 メリーランド州の場合は、州自体の面積もさほど大きくないうえに、ヘリコプター救急拠点を8ヵ所に置いて濃密な体制を組んでいる。そのため人口の98%はもとより、面積的にも95%がヘリコプターによる「黄金の15分」の範囲に入る。したがって道路もほとんどヘリコプターの救護範囲にあるはずで、救命率も全国平均を上回る結果となっている。

 このもようは表5-9に示すとおりである。たとえば2002年の死亡率、すなわち車の走行距離1億マイル当たりの死亡者数は、全米の平均が1.5人、メリーランド州が1.2人であった。この状況は過去にさかのぼって1968年からの経過をたどってみても、常にメリーランド州の方が低い。

 また、この35年間の死亡率の低下は、メリーランド州が4.6から1.2へ74%減となったのに対し、全米のそれは5.2から1.5へ71%減だった。減り方としてもメリーランド州の方が大きいわけである。 

表5-9 メリーランド州と全米の交通事故死亡率

   

メリーランド州死者

メリーランド州死亡率

全米死者

全米死亡率

飲酒死者比率

1960

-

-

36,399

5.1

-

1961

-

-

-

5.1

-

1965

-

-

47,089

5.3

-

1968

872

4.6

-

5.2

-

1969

801

4.1

-

5.0

-

1970

787

3.8

52,627

4.7

-

1971

793

3.6

-

4.5

-

1972

815

3.4

-

4.3

-

1973

822

3.2

-

4.1

-

1974

733

3.1

-

3.5

-

1975

688

2.7

44,525

3.4

-

1976

678

2.6

-

3.2

-

1977

673

2.5

-

3.3

-

1978

729

2.6

-

3.3

-

1979

700

2.5

-

3.3

-

1980

782

2.7

51,091

3.3

-

1981

793

2.7

-

3.2

-

1982

660

2.2

-

2.8

-

1983

663

2.1

-

2.6

-

1984

650

2.0

-

2.6

-

1985

740

2.2

43,825

2.5

53%

1986

790

2.2

-

2.5

-

1987

830

2.3

-

2.4

-

1988

794

2.1

47,087

2.3

-

1989

749

1.9

45,582

2.2

-

1990

727

1.8

44,599

2.1

51%

1991

710

1.7

41,508

1.9

49%

1992

664

1.6

39,250

1.7

47%

1993

671

1.5

40,150

1.7

45%

1994

657

1.5

40,716

1.7

43%

1995

684

1.5

41,817

1.7

42%

1996

614

1.3

42,065

1.7

42%

1997

610

1.3

42,013

1.6

40%

1998

606

1.3

41,501

1.6

40%

1999

598

1.2

41,717

1.6

40%

2000

617

1.2

43,005

1.6

41%

2001

662

1.3

42,196

1.5

41%

2002

661

1.2

42,815

1.5

41%

2003

650

-

42,643

1.48

39.9%

2004

643

-

42,636

1.46

39.2%
[資料]米政府およびメリーランド州統計資料から作成

 上の表で死者の数だけを見ると、この35年来ほとんど変わっていない。アメリカの交通事故といえば、最近は一口に死者42,000人という状態が続いている。したがってドイツのような「死者半減」という顕著な結果が見えず、いくらヘリコプターを使っても無駄ではないかという議論が出るかもしれない。しかし、ヘリコプター救急がここまで普及しなければ、死者はもっと多かったはずである。

 事実、死亡率は上述のように7割以上の低下を示している。言い換えれば、車の数が増え、走行距離が伸びた割には、死者が増えていないのである。

9 メリーランド州の特徴

 メリーランド州のヘリコプター救急体制は、すでに見てきたとおり、次の3点が大きな特徴といえよう。

(1)警察機の使用

 警察機を使うという発想は、カウリー博士のものである。勤務先が州立病院だったせいもあって、州警察の航空体制を利用することに思い至った。そのことによって、新たなシステムをつくる必要がないので経費がかからない。特にヘリコプターや通信システムなどは既存のものをそのまま利用することができる。したがって経済的に安く、時間的に早く実現することができる。

 というので、新たに次表のような救急業務がメリーランド州警察に与えられることになった。 

表5-10 メリーランド州警察の救急任務
  • 事故現場で命の危険にさらされている患者を直接ピックアップする。
  • 多発外傷によって危険な状態にある患者を、他の高次の病院へ搬送する。
  • 地方病院では対応できないと判断された緊急状態の患者を搬送する。
  • 未熟児を設備のととのった病院へ搬送する。
  • 事故の現場、または他の所要の病院へ、医師または医療スタッフを輸送する。
  • 医薬品、輸血用の血液、血液成分、さらには移植臓器を輸送する。

(2)警察業務との両立

 一方では、しかし、警察本来の任務がある。これをやめるわけにはいかない。その任務は以下のとおりだが、メリーランド州警察航空隊はこれら本来の任務をこなしながら、救急業務を進めている。

表5-11 警察ヘリコプター本来の任務
  • 捜索救難――人、航空機、船舶などの行方不明の捜索
  • 犯罪捜査――脱獄囚、犯罪現場からの逃亡者、盗難車や盗まれた財宝などの捜索、犯罪容疑のかかった車の追跡捜査
  • 殺人、放火、麻薬取引などの現場調査ならびに空中写真撮影
  • 道路の監視と保安、空からの交通整理
  • 保安輸送
  • 災害支援
  • ハイウェイ・パトロール

 問題は、こうした警察業務と新しい救急業務の双方を過不足なく遂行してゆくことである。下手をすれば、どちらも中途半端なアブハチ取らずになってしまう。

 そこでカウリー博士の強い要請によって、寸刻を争う救急患者の命を優先することになった。すなわち「救急業務優先」を基本原則として、具体的に次のような飛行条件を定めている。 

表5-11 救急最優先の飛行条件
  • パトロール飛行は救急業務に支障のないような範囲に限っておこなう。
  • 24時間いつでも出動できるような態勢を取り、救急車と同時に出動する。
  • 警察、救急隊、医療機関とは常に連絡と通信を維持する。
  • 患者は容態に応じて、最適の医療機関へ搬送する。
  • ヘリコプターでなければ生死にかかわるような緊急患者のみを搬送し、余裕のある患者は救急車に依頼する。(地上救急隊の仕事を取り上げるような競合関係が生じないようにする)
  • ヘリコプターは救急専用ではない。他の警察業務にも使うことによって費用効果を維持する。ただし救急業務を最優先とする。

 余談ながら、ここで使われている航空機にはテレビの生中継装置などは装着されていない。これはメリーランド州ばかりでなく、欧米のほとんどの緊急機関でも同様である。言い換えれば情報収集のためにテレビの生中継を使うようなことは、どこでもしていない。

 では、どうするのか。メリーランド州の場合は先ず固定翼機を使用する。その機上から目視で災害現場を見ながら、無線を使って口頭で現場の状況を本部に伝える。後刻の確認と記録のために映像が必要な場合は、手持ちのビデオ・カメラを回す。

 ヘリコプターを使う場合も同様だが、情報収集のためには固定翼機の方が速度がはやく、コストが安く、よほど効率が良い。

(3)高密度の拠点配備

 以上のようにして始まったメリーランド州のヘリコプター救急は、警察航空隊とカウリー博士のショック・トラウマ・センターとの協力体制によって大きな救命効果を挙げた。博士自身の論文にも「1969年、ヘリコプター救急の始まった当初、メリーランド州立大学病院に搬送されてくる外傷救急患者は、死亡率が50%に近かったが、72年には20%を切るころまで下がった」と書いている。わずか4年間で半分以下になったのである。

 そこで、この有効な体制をショック・トラウマ・センターのあるボルティモア周辺ばかりでなく、州内全域に広げようということになり、拠点数を増やしていった結果、今の8ヵ所になった。この8ヵ所は、先にも述べたとおり、日本の面積に当てはめるならば120ヵ所の配備に相当する。つまり、きわめて濃密な配備であり、それだからこそ警察業務との両立も可能なのであろう。

 こうして、メリーランド州警察航空隊は、警察と救急の二つの任務をこなしながら、すぐれた成果を挙げている。


ADAMSで見たメリーランド州のヘリコプター救急拠点

10 救急飛行35年

 メリーランド州警察航空隊(MSP)は2005年9月、救急業務を開始して35年を迎える。始まった当時の1970年、救急患者をヘリコプターで病院へ搬送するという仕事は、軍を除いては、どこでもおこなわれていなかった。

 それ以来、MSPは10万人以上の患者を救護してきた。加えて、捜索、救難、救助によって多数の人命を救ってきた。もとより、これらの患者や遭難者は、MSPから一片の請求書も受け取ってはいない。

 その一方で、MSPが本来の警察業務にも怠りなかったことは、先に言及したとおりである。おそらくMSPは、救急に関しては世界で最も多忙な公的ヘリコプター機関といってよいであろう。そのことは、われわれの訪問時、航空隊長からも自負の言葉を聞いた。

 この35年間、MSPは3回の事故によって6人の殉職者を出した。うち1人は女性のパラメディックである。しかし1986年を最後として、最近19年間は無事故の飛行が続いている。

(HEM-Net、2006.1.1)

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