<調査報告書>

ヘリコプター救急の先駆者

 

第4章 R. アダムス・カウリー博士

 前章まではAAMS(米航空医療学会)で得られたADAMSデータベースを中心に、アメリカ全体のヘリコプター救急を見てきた。ここからはもう少し具体的な話題にしぼってゆきたい。

 そこで本章では、ヘリコプター救急の端緒をつくった救急外科医、R.アダムス・カウリー博士についてご報告する。

 カウリー博士は第2次大戦中、陸軍軍医としてヨーロッパ戦線に従軍した。このとき博士は、兵士の負傷の程度が重傷であっても手当が早ければ死ぬことがなく、その後の病状も良好となる例が多いのに気がつく。さらに朝鮮戦争やベトナム戦争では、負傷兵の救護にヘリコプターを使って効果を挙げたことから、国内でも日常的な救急医療にヘリコプターを使えば、いっそう大きな効果があることを察知した。

 そこからカウリー博士の思考は「ゴールデンアワー」という理念に達し、その実現のためにヘリコプターを導入するよう提唱した。そのうえで、勤務先のメリーランド州立大学病院を拠点とし、州全体に及ぶヘリコプター救急体制をいち早く実現したことから「ヘリコプター救急の先駆者」とも呼ばれる。

1 アーリントン墓参

 今回の調査で、ワシントンの航空医療学会を訪ねた機会に、市内のアーリントン墓地に埋葬されているカウリー博士の墓参をした。2月初めの厳寒の時期で、広大な墓地には雪が降り積もっていた。

 幸い前日の雪は上がっていたものの、案内所で墓の所在地を聞き、教えられた区画(セクション1)へ車で走り、無数に並ぶ墓石の名前を読みながら雪の中を歩き回って、博士の墓を探し当てたときは案内所に入ったときから1時間ほど経っていた。

 さすがに博士の墓石は、周囲のそれより一回り大きく、その前には花束が供えてあった。何日か前に誰かが訪れたのであろう。

 墓石の正面には R ADAMS COWLEY の大きな文字と、生没年月日(1917年7月27日〜1991年10月27日)が彫ってある。裏側には、次のような墓碑銘が刻まれていた。

心臓および外傷外科医
救急活動によって何千もの人命を救い、
世界の救急医療の様相を一変させた外傷治療の父

  • 米国初の重度外傷センターの設立者
  • 重度外傷に関する科学的研究の指導者
  • メリーランド州において、米国初の州内全域にわたる救急体制をつくり上げた先駆者
  • 発症後60分以内の的確な治療によって外傷患者が助かるという理念「ゴールデンアワー」の提唱者
  • 救急医療に民間ヘリコプターの利用を始めた指導者
  • 高圧治療法と開胸心臓手術の開拓者
  • 電動ペースメーカーおよび手術クランプの発明者
  • 心臓外科学会の設立者

 ここにも「ゴールデンアワー」を提唱したことが刻まれ、その実現のために最も早い段階でヘリコプターによる救急システムの構築をめざしたことが書かれてある。

 たしかに救急治療のあり方は「ゴールデンアワー」の一と言によって変貌し、カウリー博士自身は「近代医学における世界的な重要人物の1人」とされるに至った。

2 ヘリコプター救急体制の創設

 カウリー博士は本来、上の墓碑銘にも見られるように、心臓手術の専門医である。ところが、手術が成功しても、その数日後か数週間後にショックによって死ぬ患者がいる。このショックは回復不可能な突然死とされていたが、博士はそれを如何にして回復するかを研究した。

 そして長年にわたる研究を続け、メリーランド州立大学に米国初のショック・トラウマ臨床施設をつくった。1960年頃のことで、最初はベッドが2つだけ、後に4ベッドに増えたが、いずれにしてもささやかな施設である。そこに少しずつ患者が送りこまれた。けれども死亡する患者が続いたために「死の病棟」などと陰口をたたかれた。

 しかし、やがて回復する患者が出るようになる。その経験と実績から、カウリー博士は手術の技量と同時に、治療の開始が早いか遅いかが問題であることに気がついた。その点について、博士は次のように説明している。

「生死を分けるのはゴールデンアワーです。あなたが瀕死の重傷を負ったとき、生存のチャンスは60分しかありません。といって、1時間以内に死ぬということではありません。ただ、その間に適切な治療を受けなければ、3日後か2週間後か、しばらく経ってから突然、あなたの身体に取り返しのつかない何かが起こるのです」

 こうした考え方から、カウリー博士はメリーランド州警察と交渉し、ヘリコプターを使って迅速に重傷患者を自分のショック・トラウマ施設に搬送するよう依頼した。その結果、初めてヘリコプターで患者が搬送されてきたのは、1969年のこと。2ベッドの施設から10年近くたって、施設は32ベッド、5階建てのトラウマ研究センターに発展していた。

 

3 ヘリコプター救急体制の発展

 1970年、カウリー博士の理想はさらに大きく広がり、ボルティモア市民だけがヘリコプター医療の先端的な恩恵に浴するのでなく、メリーランド州全体の人びとを対象として、州内全域にヘリコプター・システムを拡大すべきであると考えるようになった。

 この考え方に関心をもったのがメリーランド州知事である。というのも当時、親しい友人が自動車事故で重傷を負ったためであった。そして1973年、メリーランド州として独自の救急医療研究所を設立することになり、その中に実際の救急部門を置いて、カウリー博士が責任者として就任した。

 こうしてメリーランド州は米国内で初めて州全体をカバーする救急システムをつくり、本来のショック・トラウマ・センターと並んで世界的な模範体制をつくり上げた。

 それ以前の救急サービスといえば、わずかな医療器具をのせた救急車が、患者をピックアップして最寄りの病院へ搬送するだけであった。しかも、患者が運ばれた病院のほとんどは、病状に応じた医療設備や医師が存在せず、助かるべき人も助からないといったことが多かった。

 1989年には、新しい8階建てのショック・トラウマ・センターが完成し、カウリー博士の名前が冠せられることになった。現在ではベッド数138。脳や脊髄の損傷など、最も困難な治療を初めとする先端的な外傷治療施設となり、その医療技術は世界最高水準にある。

 ここに送りこまれてくる外傷患者は年間およそ7,000人。その4割は交通事故のけが人である。そして3割が工事現場や農業などの仕事中、あるいはスポーツによる怪我。残り2割は、銃撃や刺傷などの暴力その他の一般的災害による被害者である。

 同時にショック・トラウマ・センターはメリーランド州全体の救急医療体制の主導的な役割を果たしている。州内には救急部のある病院が48ヵ所、救命救急センターが9ヵ所、特殊専門医療センターが20ヵ所にあるが、ショック・トラウマ・センターはその中核となっている。

 また救急車は州全体で600台以上、救急ヘリコプター12機、そして救急医療や搬送のために民間企業を合わせて35,000人の関係者が働いている。この中には医師、看護師、病院職員、救急搬送会社、消防、警察などの人びとが含まれ、専門医のつくったプロトコールにしたがって仕事をする。

 こうして大規模な救急医療体制が、カウリー博士の提唱により、ショック・トラウマ・センターを中心に州内全域を対象として構築され、さまざまな外傷患者の治療のみならず、研究や教育にもあたっている。

4 ヘリコプター救急体制の要素

 カウリー博士がつくり上げたヘリコプター救急体制とは、次のような要素から成る。

  1. メリーランド州内のどこかで救急患者が発生すると、州警察のヘリコプターがパラメディックをのせて現場へ飛ぶ。
  2. パラメディックは現場で患者の容態を安定させてヘリコプターにのせる。ヘリコプターがショック・トラウマ・センターへ向かって飛行中も、パラメディックは機内で所要の手当をつづける。
  3. 飛行中のヘリコプターおよびパラメディックとショック・トラウマ・センターとの間では、通信指令センターを介して、連絡が続けられる。
  4. ショック・トラウマ・センターの屋上には、夜間照明つきのヘリポートが設置されている。
  5. ヘリコプターが着陸すると外傷治療の訓練を受けた看護師や外傷技士がヘリコプターから患者を受け取り、ストレッチャーにのせ、エレベーターで階下の初期治療室へ運ぶ。このとき、患者の容態がもっと複雑であれば、麻酔医や外傷外科医も屋上まで行って患者を受け取る。
  6. 外傷外科医は通常の外科医であるほかに、重傷患者の蘇生に関して特別な訓練を受け、その資格を持っている。
  7. 救急患者は先ずCTスキャンやX線検査を受ける。これで正確な診断が可能となる。
  8. 初期治療室の隣には手術室があり、そこで所要の手術がおこなわれる。
  9. 重傷患者は外科的な集中治療を受ける。
  10. 患者は必要があれば入院し、病院内のさまざまな分野の専門医の治療を受ける。
  11. 退院した患者は外来部門に通院し、所要の医療を受ける。

 

 カウリー博士は、こうした11項目の要素から成る救急体制をつくり上げた。そして各救急段階で働く職員に対し、誠実と熱意と技能と気力を求め、みずからも先頭に立って努力を惜しまずに働いた。

 博士は理想の実現に向かって諦めることはなかったし、誰もそれを押しとどめることはできなかった。今のショック・トラウマ・センター長は言う。「カウリー先生の辞書に不可能という文字はなかった。先生は、どんなにひどい怪我でも何とかして救おうと努力し、必要があれば山でも動かすほどだった。われわれも今、それを見習っている」と。

 さらにボルティモア市民の1人は「われわれはアメリカ中で最もすぐれた救急病院のそばで、安心して生活することができる」と語っている。

 重ねてセンター長は言う。「われわれの任務は非常に単純です。人の命を救うことです。このことは、センターの発足当初から変わっていません」

 確かに、カウリー博士はそのことを座右の銘としていた。もう一度アーリントン墓地に話を戻すと、博士の墓石正面には次のようなリンカーンの言葉が刻まれているのを見ることができる。

「神による生命の創造に次いで、人間にできる最も高貴なる行為は人の命を救うことである」(Next to creating a life, the finest thing a man can do is save one.


R. アダムス・カウリー博士

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