市川 慧 氏

「俺たちは金をもらって歩くのが商売だ.金を払って歩くんではない.」

市川慧さんがもう八千代エンジニアリングへ移られてからの,何か気の置けない人たちで集まった酒席での言葉だったと記憶している.「市川さん.ゴルフはなさるんですか?」との誰かの質問への答えである.地質屋の面目躍如といった科白だ.

旧建設省土木研究所(「土研」)の方々の中で,市川さんはもっともおつきあいの深かった人の一人である.はじめてお目にかかったのは彼が地質研究室長のころで,北海道の某ダムの相談にお邪魔したときのことだった.主として砂岩からなるそのダムサイトは,とにかく岩盤の透水性が大きく,どこで試験しても軒並み50を超えるルジオン値を示すというところだった.「本当に水が 貯まるのか?」と危ぶむ人たちも少なくなかったが,私は地表踏査やデータ解析から,想定ダム軸のやや上流に分布する泥岩層が天然の「遮水壁」に使えるのではないかと考えていた.地層は急角度で下流に傾斜しており,うまい具合にダム軸の下に来るので,カーテンラインをこの泥岩層に届かせてやればきちんと水は止まる.要求される剪断強度は砂岩層に負担させればよい.このような私の考えを聞いてもらって,「日本でのこういう例はないが,海外にはある.おもしろいからぜひやってみたらいい」とおっしゃってくれた(具体的にどこ のダムだか聞くのを忘れたが).まだ30歳になったばかりだった私は大いに勇気づけられて,このダムに取り組んだ.その後の調査でこの見通しは大局的には間違っていなかったことがわかってきた.技術士もこのテーマで取らせてもらった.

その後も,北海道内あちこちのダム調査でお世話になったり,私が応用地質学会北海道支部のテキスト「ルジオンテスト」を執筆するときに助けていただいたりした.1999年には,ネパールで開催された国際応用地質学シンポジウムとその後の巡検でご一緒することになった.MCT近くの露頭からサンプリングした石を見せて,「どうだ.ガーネットが回転してるだろ」などと教えてもらったりした.思えばこれがご一緒した最後のフィールドであった.もっといろいろお聞きしたいこともあったし,まだまだご活躍が期待されていたのに,本当に残念でならない.

 

八木健三 先生

「ハイ質問,そのホタテは旨かったでしょうか?」

北大の学位論文発表会で八木先生が放った質問だった.論文のテーマはタカホシホタテという化石種の研究(詳しくは覚えていない),対する八木先生はもちろん鉱物学の教授.発表が終わって,誰からも質問が出ないと見るやの発声だったように記憶している.日本の感覚とは違い,欧米では講演に対して質問がないというのは評価されないのと同義だ,と聞いたことがある.米国留学の経験もある先生としては,畑違いの分野でも質問するのが礼儀だと考えられたのだろう.「貝柱が大きくて旨かったのではないでしょうか?」・・・  私はその後,いろいろな学会に参加しても,あまり物怖じせずに質問をするようにしてきたのだが,その原点はここにあったような気がする.
八木先生は私たちの卒業前に退官され,その後自然保護運動に力を入れられるようになる.私は「開発」側に就職してしまったので,反対側のテーブルで先生をお見かけするという再会となった.それでも「元気でやってますか」と気楽に声をかけていただいた.1988年に琉球大学でおこなわれた地質学会の際は,お願いして,当時問題となっていた石垣島白保のサンゴ礁を見に行ったり,赤土流出の現場を確認したりした.作る側の工学にもできることがあるし,作ることと作らないことの判断は技術ではないということを,私は先生から(直接ではないが)教わった.千歳川放水路は断念され,士幌高原道路も,日高横断道も止まった.これは北海道にとって良いことだったと思っている.