昭和55〜56年・・・旧 奈良輪家 (福島市民家園内)
旧奈良輪家は、以前は福島市街の南郊の小高くなだらかな丘の中腹に建っていた農業を営んでいた住宅である。
その建立以来、昭和46年の解体に至るまでに少なくとも200年は経過したものと推定される。
構造については、木造平家建ての寄棟造りで、屋根は茅葺き屋根となっている。
規模については、桁行方向21.4m、梁間方向7.75mとなっており、建築面積165.9u
棟高7.19m(土間面まで)、軒高2.66mとなっている。
現在は福島市民家園内に弊社で移築・復元し、文化財としての価値を残している。
昭和56〜57年・・・旧 筧家宿店 (福島市民家園内)
旧筧家は、上鳥渡集落の西端にあり旧会津街道が東西に通り、かつ旧米沢街道が筧家の屋敷の東境に沿って分岐していた。
近年の雑貨店営業のため、宿店当時の南側上り口に下屋をおろし、建具をガラス戸に変えていたことなど
若干の模様替えを除けば、形状・主体構造などから造作に至るまでほぼ旧状を維持している。
福島市民家園内に移築・復元し、福島県の重要文化財として中核的な存在となっている。
昭和56年・・・・・旧 小野家(福島市民家園内)
旧小野家は、伊達郡伊達町に蚕種生産農家を営みながら住んでいた住居の主屋である。
県北地方の近代史の中で生きた庶民の生活舞台であり、民家そのものが近代史の一面を
物語っており、貴重な歴史的遺産であるといえる。
昭和58年・・・・・旧 渡辺家(福島市民家園内)
旧渡辺家は、福島市上名倉の平坦地に建てられており、建立以来少なくとも150年は経っていると推定される。
旧奈良輪家より50年程度遅れて建てられたことになる。規模は桁行方向20.16m、梁間方向9.37m
棟高7.5m、桁高4.2m、軒高3.25m、建築面積48坪である。
この規模・間取りから上層農家だったと推測されます。
現在は福島市民家園に移築・復元し、この地域に根付いた庶民生活を具体的に表現している歴史的遺産といえます。
昭和58年・・・・・旧 菅野家(福島市民家園内)
旧菅野家については、福島市の黒澤建設株式会社が施工し、弊社は技術指導のみいたしました。
昭和59年・・・・・旧 阿部家(福島市民家園内)
昭和59年・・・・・ 旧 佐久間家 板倉(福島市民家園内)
昭和59年・・・・・橋銭小屋 (福島市民家園内)
橋銭小屋とは、むかし橋を渡るためにお金を払う場所でした。
その貯まったお金は、橋の修繕費用にあてられていました。
平成4年・・・・・旧 客自軒(紅葉館)(福島市民家園内)
旧客自軒(紅葉館)は、福島市北町に所在し、江戸期の福島地方の盛り場に建設された料亭を現在に残す
貴重な建造物で、幕末から明治期にかけて福島の歴史上重大な舞台、重要な人物と深い関わりのあった建物です。
昭和62/63年・・・・・旧 消防ポンプ小屋及び火の見櫓 (福島市民家園内)
平成4〜6年・・・・旧 広瀬座(福島市民家園内)
旧広瀬座は、明治20年、伊達郡梁川町の広瀬川畔に建立された芝居小屋で、木造・真壁造り・
入母屋造り・木羽葺屋根となっており、県内に残された明治期の芝居小屋としては唯一のものです。
回り舞台などがあり、復元前の姿を忠実に再現しています。

平成6年・・・・・旧 亀岡邸 (保原町)
旧亀岡邸は、桑折町に明治10年頃から10年程度を費やし建立された、当時の豪農の住居でした。
亀岡氏は、旧家屋の改築を機会に、和洋折衷の館に模様替えされたと伝えられています。
現在は、伊達郡保原町総合運動公園内に移築・復元し、平成8年3月22日福島県重要文化財に指定されました。
平成5〜6年・・・・旧 馬場家 (福島市民家園内)
旧馬場家は、福島県南会津郡南郷村の国道沿いに江戸期に建立されて以来、馬場家が代々主として
農業を営む住居として使用されていた。そのため、『うまや』なども併設されていた。
奥会津地方の特色である『曲り屋』であり、その中でも比較的大きな建造物である。
ちなみに、所有者であった馬場寅平氏は弊社会長の兄弟です。
平成5〜6年・・・・水車展示業務委託(福島市 四季の里内)
平成7年・・・・・県史跡観海堂(新地町)





ご意見、ご感想をお待ちします Expecting your comment\(^o^)/